東京に住んでいる人にとって「温泉にでも行ってのんびりしよう」というと、箱根が古くからその代表的な場所だった。箱根火山群という大自然の上に点在する温泉の中から、塔之沢(とうのさわ)と芦之湯(あしのゆ)の温泉を体験してみた。
※写真:無色透明のアルカリ単純泉は肌にやさしく入り心地が良い。


箱根温泉群の拠点である箱根湯本駅は
火山群のカルデラの入口に位置する。

箱根登山鉄道は
カルデラの中へ進んで強羅へ至る。
ケーブルカーやバス路線
も発達している。
  箱根の町は神奈川県の西の端、静岡県との境にあり、箱根火山群と呼ばれる山々に囲まれた中にある。カルデラ、つまり火山が噴火した後にできた大きなくぼ地の中にすっぽりと箱根の町が入っているかっこうだ。地形図を見るとその様子がよくわかる。そして、太古の昔に箱根山が噴火した名残りが、箱根の豊富な温泉となっているわけだ。
 小田原から東海道を西へ進むと、箱根湯本がカルデラに広がる大温泉地帯の入口にあたる。中央には箱根山があり、周囲を標高1,000メートル前後の外輪山が囲んでいる。カルデラの南西部には芦ノ湖がある。このカルデラ内にいくつもある温泉の総称が箱根温泉だ。古来より箱根七湯といわれていたのが湯本(ゆもと)、塔之沢(とうのさわ)、宮ノ下(みやのした)、底倉(そこくら)、堂ヶ島(どうがしま)、芦之湯(あしのゆ)、木賀(きが)だが、それらに、大平台(おおひらだい)、小涌谷(こわきだに)、二ノ平(にのたいら)、強羅(ごうら)、宮城野(みやぎの)、仙石原(せんごくはら)、湯ノ花沢(ゆのはなざわ)、姥子(うばこ)、蛸川(たこがわ)、芦ノ湖(あしのこ)が加って、今は十七湯といわれている。場所によって、あるいは源泉によって泉質がさまざまで、アルカリ単純泉、硫黄泉、酸性泉、硫酸塩泉、塩化物泉、炭酸水素塩泉などがあるのも箱根温泉の特徴だ。それぞれに効用があるので、自分の心身の状態に合わせて泉質を選んで入りたい。


塔ノ沢駅から少し歩くと素朴な共同浴場
「上湯温泉浴場」がある。

塔之沢温泉の福住楼は
建物全館が登録有形文化財と
なっている。

福住楼の廊下。
明治以来多くの文人墨客らが
常宿としていた。

無色透明のアルカリ単純泉は
肌にやさしく入り心地が良い。
  今回はまず、箱根登山鉄道の箱根湯本駅の次の駅、塔ノ沢にある福住楼(ふくずみろう)を訪ねてみた。芦ノ湖から流れ出てきた渓流、早川に沿って静かな温泉街が続く。塔之沢温泉は歴史が古いこともあり、壮麗な旅館が多く、福住楼もその1つだ。福住楼は明治時代に創業してから、福沢諭吉、夏目漱石、幸田露伴、島崎藤村、川端康成などの文人墨客が常宿にしていたという。そして、建物の全館が登録有形文化財となっている。なるほど玄関も廊下も客室も純和風の凝った造りだ。
 そして特に凝っているのは、木製で縁に銅板をはめた大丸(だいまる)風呂。浴室も、木の床、木の壁、木の窓枠、木の天井に囲まれていてなんともいえない木の優しさや温かさを感じる。湯舟は床にどっしりとはめ込まれている。毎日湯を抜いて洗っているということで、磨き込まれた木の肌が美しい。
 木の柔らかさを足に感じながら、湯舟に体を沈めてみると、湯も柔らかいのが分かる。泉質は、湯本などにも見られるアルカリ単純泉で、無色透明で無臭。誰にでも入りやすいやさしい湯で、療養や疲労回復、病後・外傷後の静養など効能は幅広い。
 透明な湯にじんわりと温められ、湯には浴室の窓外の新緑がはっきりと映って、じつに清々しい気分になった。

福住楼の大丸風呂。
赤松をくり貫いて組み合わせた湯舟に
銅の枠がはめ込まれている。

カルデラの中央辺り国道1号線に近い
芦之湯にある松坂屋本店。

松坂屋本店の湯は
カルシウムを含む単純硫黄泉。
2つの浴槽は温度が異なる。
  次に訪れた芦之湯は、早川沿いの温泉群からは離れているが、東海道国道1号線に近い。やはり古くからの温泉で、にぎやかさはなく落ち着いた風雅な雰囲気がある。この芦之湯にある松坂屋本店は、創業が1662年という老舗だ。江戸時代には国学者の本居宣長らが投宿し、幕末から明治にかけては西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟、乃木希典といった近代史上の大人物が宿泊しているというから驚く。
 しかし、驚くことはその湯の方にもある。泉質はカルシウムを含む単純硫黄泉で、神経痛、リウマチ、皮膚疾患などに効能があるのだが、エメラルドグリーンの湯色が、温度によって透明になったり、白濁したりするのである。
自家源泉から直接浴槽に湯を引いているため、雨や雪などの天候や、気温、湿度などの自然条件によって温度や湯の花の量が変わるという。源泉の温度は約60℃だが、循環や加水をしていないため温度管理は難しく、バルブの開閉具合で温度調整を行なっている。同じ源泉からの湯を2つの浴槽でそれぞれ温度を変えると、温度が高い方は透明なエメラルドグリーンだが、温度が低い方は白濁することがあるそうだ。
 訪れたこの日は、やはり温度が低い方は白濁し、高温の方はあざやかなエメラルドグリーンだった。入ってみる。なるほど白濁している方の湯はややぬるめで入りやすい。白濁はしているがやはり緑色ではある。エメラルドグリーンの湯は透き通っていて、かなり熱めだ。硫黄の独特のにおいがあるがそれほどきつくはない。飲泉も可能ということなので試してみると、味はどちらの湯も同じだ。
 湯の色を見比べたり味をみていると、またたく間に、体が芯までほかほかと温まってくるのが実感できた。


同じ源泉からだが、
手前は温度が高くエメラルドグリーンで、
向こうは温度が低く白濁した緑色。

同じ自家源泉から
直接湯舟に入れているという。
温度はバルブの開閉具合で変えている。
COLUMN
 箱根山は、歴史時代以降つまり文字で歴史を記録するようになってからは噴火をしていないという。はるかな昔に噴火してその跡が陥没し、今の箱根の地形がつくられた。その余勢が現在の豊富な温泉の源になっているわけだが、自然の力の大きさにあらためて感じ入った。同時に、往古からその温泉を健康のために利用してきた人間にいじらしさを覚えた。大きなカルデラの中で小さな湯のたまりに入ってきた人間たちをいとおしく思った。
(取材:岩間靖典)
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